快傑えみちゃんねる 1999年05月24日 放送回
昨年、いしだはえみちゃんと旅番組で金沢を訪れた。「あの時は1年分笑っちゃいました」。リラックスしたしゃべりにはどことなく関西弁の名残りがある。というのも大阪府池田市の出身。「実家に電話するとすぐに関西弁に戻ります」。4人姉妹の2番目。姉と母親に勧められて4歳からフィギュアスケートを習い始めた。小学校卒業まで続けて、オリンピックの候補にまでなった。「今でも歩くよりも氷の上をすべるほうが上手だと思います」。
出身は池田市だが、生まれたのは佐世保の海軍病院だった。生後すぐに肺炎にかかった。「医師からも見放されて、母は私を霊安室に放置していたそう(笑)」。昨年、両親と佐世保を旅行したら、当時の病院が残っており大感激した。
大河内は東京の下町、葛飾の出身。3人姉妹の末っ子。「父親似です。母親は小柳ルミ子さんにそっくりなんですよ」。賢也は思わず苦笑い。「とっても出たがり屋」で、大河内のドラマにエキストラで出演したこともある。中学時代は長身を生かしてバスケット部に所属。おっとりした性格に見られるが、かなりの負けず嫌い。 「手は出さないけど、口喧嘩なら負けない自信あります」。中学3年の時に原宿でスカウトされた。スタートはモデルだったが、やがて映画“岸和田少年愚連隊”のヒロイン役に大抜擢された。 「すごいチャンスだったのに、最初はセリフなんて覚えられないって、断ってしまったんです」。 演技は初挑戦。現場では監督から叱られ通しだったが「大阪弁だったので、あんまり分からなかった」とあっけらかんと笑う。共演のナインティナインからはセクハラされっぱなし。「ふと振り向いたら岡村さんが首筋の匂いをかいでいるし、矢部さんは胸やお尻を触ってくるし。もう大変でした」。 ▲ いしだの芸能界デビューは歌手と思われているが、実は13歳の時に大阪・梅田コマ劇場で初舞台を踏んでいる。本名の石田良子で、ミヤコ蝶々の座長公演だった。その後、歌手を目指して単身上京、故いずみたくの門下生となった。 「地下鉄で知らないおじさんから、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるの?って聞かれたことがありました。きっとホームシックで寂しかったんでしょう」。 大ヒット曲“ブルーライトヨコハマ”に巡りあったのは21歳の時。出だしのフレーズを間違って歌ったら、そのままレコーディングされてしまった。
女優に転身後、初めて映画各賞を総ナメにしたのが“青春の門自立編”だった。 「眼光鋭い」浦山監督と初対面したのはビジネスホテルの地下の喫茶店。「歌手にできる役じゃないと言われたんです。それから明け方まで飲みに付き合わされました。 私の反応と根性を試されたんです」。クランクアップまで撮影現場では一言も会話を交わさない真剣勝負だった。高倉健と共演した“駅ステーション”では、列車の別れのシーンに緊張した。「1回限りのぶっつけ本番。そのまま次の駅まで乗っていきました」。仕事で煮詰まると、自分のことをホメてくれる人に電話する。「そして元気をもらうんです。いろんな人生を体験できるなんて、本当に素敵な仕事です。幸せです」。実感のこもった言葉だ。
大河内の初恋は16歳。「二股かけられていたんです。ショックでした」。現在21歳。「好きな人はいますよ」。しかし結婚よりも子供がほしいとか。
締めくくりはおなじみの大澄賢也のコーナー。大河内がスカウトされて芸能界入りしたのにちなんで、芸能スカウトマンに1日入門する。
