快傑えみちゃんねる 1999年06月14日 放送回
小林は昭和40年、東京の葛飾柴又生まれ。お父さんは大工さんで、今も現役で頑張っている。少女のころはショートヘアだったので「よく男の子に間違えられた」。 小学6年で153センチと大柄だったが「それから2センチしか伸びていない」と苦笑い。 芸能界入りのきっかけは中学1年。自分で俳優養成所のオーディションに申し込んだ。ピンクレディーの曲を歌った。「月謝が高くて。みんな受かってたみたい」。 デビューはドラマ“三年B組金八先生”。初主演映画“転校生”では男子生徒と女子生徒の体が入れ替わってしまうシーンの名演が話題を集めた。「ごく普通に演じただけですよ」。 ▲ 天海も東京出身で、父親は建築設計業。中学入学まではどのクラスでも最後列。中学卒業時には170センチあった。 初恋は「ませてて」幼稚園の時。その彼とは現在も友達づきあいしているが「向こうは結婚しているし(当時と比べると)がく然ですね」とクスクス笑う。中学2年の時、松竹映画“きつね”のオーディションを受けた。しかし両親に内緒だったので全国大会を前にして断念した。 宝塚歌劇団を勧めてくれたのは担任教師。 両親もあの学校ならしつけが厳しいからと賛成してくれた。 「長身なので簡単に合格できると信じていた」。 一次テストは軽く合格したが、二次テストに集まった受験者を一目見て「もうダメだ」と諦めた。だから面接官から「今回落ちたらどうしますか?」と聞かれて、笑顔で「二度と来ません」と返事した。 「来年も頑張りますって答えるのが定番だとか」。見事17倍を超える狭き門を突破した。
小林がブレイクしたのは異色ドラマ“やっぱり猫が好き”。 もたいまさこ、室井滋、そして小林の三姉妹の繰り広げる会話は、いかにもアドリブのように思えたが「きちんとした脚本がありました」。 しかし長回しだったのでセリフを忘れることがあった。 「その時は思わぬ展開になっちゃいましたね」。 天海が“風と共に去りぬ”でセリフを忘れた時は相手役を残したまま、舞台の裾に引っ込んでしまった。 入団7年足らずでトップスターに駆け上がったが、2年間で退団しようと心ひそかに決めていた。 「最初にゴールを決めておけば息切れしなくてすむでしょ」。 ファンから高価なプレゼントをもらうと、申し訳ないという気持ちが先立つから返した。すると“冷たい”という風評が立った。 「特定のファンと親しくすると、他のファンに悪いですし」。 退団後はドラマ、映画、舞台と幅広い活動をしているが、宝塚のクセがつい出てしまうことがある。舞台に立つと思わず3階席を探してしまう。「ダンスシーンでは手の平を上に向けて差し出してしまったことも」。 8月には神戸で初めての1人芝居(原作・浅田次郎)に挑む。「もう逃げだしたい気分です」。 ▲ 小林は結婚生活3年半。夫は“やっぱり猫が好き”の脚本を担当していた三谷幸喜。 記者会見で人の寄りつかない家庭が理想と言ったら「ホントにお客さんが来ませんね」。 夫婦そろって、酒、タバコ、夜遊びが苦手。「シャイさ加減が似てるかも」。 三谷の仕事部屋は本が山積みで「足の踏み場がない」。夫が夜通し仕事をした朝は、ワイドショーを見ながら一緒に甘いものを食べる。「わが家では“おめざ”と呼んでいます」。 甘いものといえば、天海は駄菓子が大好き。 そこでスタジオに駄菓子屋の露店が登場。「コレ、大好きなんだ」。 あんず飴に大喜びする天海はまるで少女のようだった。
