快傑えみちゃんねる 2000年01月17日 放送回
若者を中心にして70年代がブームになっている。サイケなシャツやベルボトムの ジーンズ。厚底ブーツもすでに当時流行していた。 今夜のゲスト、イルカとばんばひろふみはその70年代に一世を風靡したフォークソング界のスターだった。 父親がジャズのサックス奏者だったイルカ。「美空ひばりさんのバンドで指揮をしていたこともあったとか」。本格的に音楽活動を始めたのは女子大に入ってから。 大きな黒革のギターケースをいつも抱えていた。その形が似ているからとイルカのニックネームがついた。やがて現在のご主人となる神部さんとフォークデュオを結成 した。当時トワエモアやチェリッシュなどの男女デュオの人気が高かった。「でも周囲はずーっと男2人組だと思っていたみたいよ」。 下積み時代が3年間続いた。「あの頃はお金がなくて当たり前。おでんが食べられただけで幸せだった」。ソロデビューした3枚目のシングルが『なごり雪』だった。 ばんばは京都・祇園の老舗旅館の長男に生まれた。男性デュオのフォークグルー プ、バンバンを結成したのは20歳の時。長髪にした当時のポートレイトが紹介されると本人は照れまくる。大学卒業後、同じ事務所だったアリスと上京した。六本木の狭い1室でアリス3人、バンバンの2人、さらに事務所社長の6人が共同生活した。「2段ベッドで寝起きを共にしていた。朝になると事務員の女の子がやって来るんです」。つまり事務所に住み込んでいたというわけ。主食はもっぱらカップ麺。そのこ ろ赤坂にできた牛丼屋に社長が連れていってくれた。「谷村(新司)と、東京にはこんなウマイもんがあるんだなあって感動しあってましたよ」。ユーミンの作ってくれた『いちご白書をもう一度』で大ヒットを飛ばすのは『なごり雪』と同じ75年だった。 ちなみに1975年の世相を振り返ってみると、世界的にはベトナム戦争が終結した年だった。国内では山陽新幹線が開通し、3億円事件の時効が成立。東京・原宿では竹の子族が脚光を浴びて、健康ブームでは紅茶キノコがもてはやされた。 ▲ それぞれが思い出に浸っていると、いきなり見るからに不潔そうなロングヘアの男が客席から乱入してきた。「ボクもみんなと一緒に音楽談義させてくれよ!」。 いかにもというカツラをかぶって登場したのは円広志。世界歌謡祭でグランプリを獲得した円のデビュー曲『夢想花』も70年代を代表するヒットナンバーだ。「確かにあの曲は売れたけど、全国ツアーなんかしようと勘違いしたのがマズかっ た」。都内でのコンサートが終わった控室。マネージャーが近寄ってきて、済まなさ そうな顔で耳打ちした。「明日のコンサート、チケットが売れなくて中止になりまし た。その翌日もって。1曲のヒットだけではなかなか会場に足を運んでくれない時代でした」と当時をしみじみ振り返る。 イルカは結婚してすぐに明治生まれの姑と同居した。「一緒に歩いていると、おば あちゃんと孫娘によく間違えられました。嫁姑のケンカにならなかったです」。今年49歳にしてすでに孫がいる。「息子夫婦も孫も育てなきゃいけないから、今年からは嫌われるのを覚悟でウルサイばばあになる宣言をしたの」。隠し事のない家庭だ から食卓はいつもにぎやか。それを聞いた円は「ウチは嫁も娘も黙っている」とぼそり。すかさずイルカが「お父さんのいない時は盛り上がっているんじゃないの?」と ニヤニヤ。 締めくくりはミニスタジオライブ。イルカが阪神大震災の追悼と復興の祈りを込め て作詞作曲した『光のとびら』をギターの弾き語りで。さらにえみちゃんがイルカと 『なごり雪』を、ばんばとは『あなたをずっと見ている』をデュエットで披露する。 ▲
