快傑えみちゃんねる 2000年01月24日 放送回
「最近は若いお嬢さんたちからドクジタ(毒舌)のおばさんって呼ばれているの」とおかしそうに笑うデヴィ夫人。元インドネシアのスカルノ大統領夫人とあって、世間では外国人と勘違いされることも多いが、本名は根本七保子。れっきとした日本人だ。昭和15年に東京・麻布に生まれた。「とても貧しい家庭でした」。家計を助けるために中学卒業後、生命保険会社に就職した。初任給は6千円だった。夜はナイトクラブでアルバイトした。「弟をどうしても進学させてやりたかったんです」。 スカルノ大統領との出会いは19歳の時だった。情熱的なプロポーズの言葉を贈られた。“私のインスピレーション、力の源泉となり、我が人生の喜びとなって下さい”。キダも「きちんと申し込みました」と胸を張るが、当の美千代夫人は「プロポーズなんて受けてません」と首を振る。聞けばキダは美千代さん本人ではなくお母さんに申し込んだそう。 インドネシアに渡った彼女を待っていたのは大統領の第3夫人という運命だった。 イスラムの回教徒は4人まで妻を持てる。しかし当時57歳だった大統領は第1夫人とはすでに離婚し、第2夫人は国民から不評をかっていた。とはいえ外国人妻という彼女の立場はしばらく公にできなかった。出会って3年目に正式に結婚式をあげた。もらったラブレターは5百通をこえる。閣僚会議中でも“私の心はいつもあなたと共にある”と書いたメモを届けてくれた。思わずサブローは「そら、国民たまらんでェー」。 大統領からジャカルタの中心地に5・5ヘクタールの土地をプレゼントされ、そこに宮殿を建ててもらった。大統領からは「あなたの望みは私にとって命令である」とまで言われた。「お月さんを取ってほしいと言えば、取ってくれたかもしれない」。 ぜいたく三昧の日々だったが、大統領側近からの嫌がらせは執ようだった。レセプションの時間をわざと遅く教えられたり、ディナーの席を用意されなかったり。「とにかく味方は大統領だけでした」。第2夫人からもさまざまな妨害を受けた。しかし政変で大統領が失脚すると、生活はガラリと一変した。「エアポートから降りても赤いじゅうたんはなし。税関にも並ばされるようになって、ようやく実感できました」。 大統領と死別後、亡命先のパリの社交界では数多くの恋愛を体験してきた。「ゲームのような恋愛もあれば、命を賭けた恋愛もあります。男性の目をじっと見ていれば気持ちは分かるもの。長続きさせるコツは魅力を毎日小出しにすることね」。日本人男性との恋愛もあった。あるベテラン俳優とはマスコミからのバッシングにさらされていた頃、恋に落ちた。 「彼にはどれほど慰められたことか。日本人男性の素晴らしさの固まりのような方でした」。現在は22歳年下のアメリカ人男性と熱愛中。パリのパーティーで知り合った宝石鑑定家だ。「洒落た関係を続けております。彼にステキな恋人ができたら結婚式をあげさせてあげたいわ」。 ▲ 不倫は認めない。「もともと倫理観のない人が浮気しているだけよ」。葉月里緒菜については「他人の旦那を寝取るなんてたやすいこと」。不倫は文化だ!と言った石田純一についても「結婚までいくのなら納得できます」とズバリ。 続いて大阪の街で集めたデヴィ夫人への疑問に一問一答形式で答えてもらう。世界中にある自宅や別荘は、ニューヨークに3軒、パリに1軒、ジャカルタに1軒。お手伝いさんは護衛、執事を含めて14人。食事は1日2回。甘いモノと間食はとらない。「でもお酒は毎晩いただいてます」。総資産額についてはノーコメント。芸能界で一番仲のいいのは美川憲一。反対に大嫌いなのはもちろんマリアン。「すごい嘘つき。すれっからしのアバズレ。私のミステークは最初に彼女を普通の女性と思ってしまったことです」と情け容赦ない。行ってみたい場所が「アラスカの森林、アマゾンの奥地、ヒマラヤの秘境」とはちょっぴり意外な感じ。そして「もう結婚する気はありません」ときっぱり。 このあと大澄賢也と佐藤康恵が控室に潜入!してデヴィ夫人のワードローブや宝石コレクションの数々をチェックする。締めくくりはコテコテの大阪の魅力を体験してもらおうと、横山たかしと増田(おかだますだ)が新世界にエスコートする。ジャンジャン横丁でどて焼きや串カツに舌鼓を打つデヴィ夫人が見ものです。 ▲
