快傑えみちゃんねる 2000年01月31日 放送回
黒沢年男は17歳の時母親を40歳の若さで亡くした。弟や妹の世話をみるためにセールスマン、バーテン、バンドマン、トラックの運転手など30以上の仕事を十代で経験 した。身の上話をまじえたセールストークが巧みで、売り上げ成績は優秀だった。 「気取りを捨てなきゃダメ。相手の気持ちをこちらに向けさせるのが上手かったよ」。プロ野球選手になるのが夢だったが、さまざまな仕事の経験は役者にプラスになると気づいた。そして東宝の新人オーディションを受けた。 「ルックスじゃかなわないから、とにかく目立とうとメチャクチャやったよ」。審査員の前で床を転げまわったり、課題を一切無視してしゃべり続けたり。最終審査ではわざと遅刻した。息せき切ってオーディションルームに飛び込むと「僕を採らないと 会社の損失になります。合格させて下さい」と言って土下座した。そのかいあって5万人の応募者の中からたった1人選ばれた。黒澤明監督の息子と勘違いされることが多かったので、会社が“八方一郎”という芸名を考えてくれた。「八方破れと末広が りの意味をかけてくれたんだけど、結局本名のままでやらせてもらいました」。 人生の師と呼べるのは3人。森繁久弥には気に入ってもらおうと、撮影中の森繁の靴をふところで温めた。「秀吉のマネなんかしやがってと笑われたが、それ以来かわいがってもらうようになった」。 若いうちは貯金などするなというアドバイスを守って、稼いだお金はすべて遊びにつぎ込んだ。 その遊びの手ほどきをしてくれた勝新太郎が2人目の師匠。「高級な夜の遊びをたっぷり教えてもらった」。ブランデーはアイスボックスに入れて回し飲み。もう1人は長嶋茂雄。初対面は黒沢がガンを克服した直後だった。「すごく気づかってくれて、あんなに思いやりのある人はいないよ」。 ファンへの丁寧な対応にも心打たれた。
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俳優には役柄のイメージがつきまとう。野村真美の場合は人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の4女役。「タクシーに乗ったら、いきなり運転手さんから、アンタはわがままだねと言われました」。 あるパーティーでは、見知らぬ年配の女性から手を合わせておがまれたことも。茶の間では女優のイメージしかない野村だが、実は高校生の時にホリプロのスカウトキャラバンに応募して、関東地区で優勝。レコード会社も決まり、デビュー曲も用意されていた。 「でも、やっぱり自分がやりたいのは女優だと気づいて、お断りしたんです」。 せっかくのチャンスをなげうって、一介の練習生に戻って演技の勉強を始めたという。 いまだにフックンと呼ばれることの多い布川敏和。シブがき隊を解散して今年で12年目になる。デビュー当時は3人でマンションの共同暮らしだった。「僕とモックンはディスコへよく夜遊びに行ってたけど、ヤックンは真面目で来なかった。その代わりゴルフにはよく出かけていた」。解散後、5年たったら一緒に飲もうという約束を したが、いまだに実現していない。「兄弟みたいだったから、テレビ局で会っても照れくさくて話せないんですよ」。 元アイドルのつちやかおり夫人の間には1男1女がいる。9年間の交際を経てゴールインした。「何度も別れてはヨリを戻しての繰り返し。結婚してからは浮気は一切ありません。ケンカもほとんどしませんね」ときっぱり。夕食のテーブルには必ず10 品以上の愛妻メニューが並ぶそうだ。
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黒沢が結婚したのは32歳。モデルだった奥さんとはパリのディオールの店で会って、一目惚れした。当時かなり大きなゴシップ記事が週刊誌に出た。ガールフレンド たちは口をそろえて黒沢を責めたてたが「彼女だけは何も言わなかった」。それで結婚するなら彼女しかいないと決断した。 黒沢が妻に求める条件は1つだけ。「料理がうまくなけりゃダメ。 いいものを食べさせてくれるなら男は必ず家に帰ってくるよ」。 シングルの野村は今年で35歳。現在片思いの相手がいるそうだが 「こっちから好き好き光線を発すると失敗するから迷っています」と笑う。オフには海外へふらりと1人旅に行く。女性の1人旅だと危険なめにもあう。そこで身を守る3カ条。不細工にする、男らしくする、性格を悪くする。「髪が逆立っていても、これさえ心がけていれば大丈夫です」。 布川の趣味は昆虫収集。旅行先で買って集めたコレクションはすでに4百以上。自分の部屋は標本箱で埋めつくされている。 いま一番ほしいのはマレー半島にいる黄金のクワガタ虫だとか。 黒沢はこれまでの半生で、交通事故やガンなどで通算5回も生死の境をさまよった。「ここまで運だけでやってきたようなもの」。 そんな彼が最近スプーン曲げの才能に目覚めたとか。そこで締めくくりは滋賀県在住の超能力教師、田中玄伯先生をスタジオに迎えて、科学の原理を応用したスプーン曲げのコツを伝授してもらう。
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