快傑えみちゃんねる 2000年12月04日 放送回
橋幸夫と浅香光代は舞台で何度か共演している。 初共演の楽屋で、浅香にとって忘れられない思い出がある。橋がデビュー以来17年連続で出場していた紅白歌合戦に落選した日だった。「周囲に気づかって明るく振るまう姿を見て、こっちが泣いてしまった」。
橋が『潮来笠』でデビューしたのは昭和35年、17歳の若さだった。いきなり大ブレイクし、早くも翌年には吉永小百合とのデュエット曲『いつでも夢を』でレコード大賞に輝いた。 レコード会社の社長に5千万円を借りて、両親に家をプレゼントした。現在なら10億円に相当する額だ。どこへ行ってもファンが殺到したが、それをガードしたのが3歳年上のお姉さん。付き人兼マネージャーとして弟の世話をみていた。 「いいような悪いような。遊びたい盛りだったから、正直言ってうっとしいかった」。
当時は地方公演だと興行主が夜の女性の手配をしてくれることが珍しくなかった。「もちろん姉がすべてカット。昨晩はいい思いしたなあって、バンドのメンバーはよく言ってました」。ステージが終わるなり、宿泊先へ直行。「食事のあとは部屋でずっと姉とはさみ将棋してました」と思い出し笑い。 ▲
浅香光代にはタニマチと呼ばれる熱烈なファンが何人もいた。 ある老舗の寿司屋の女将さん。毎日楽屋に寿司を届けてくれたが、いつも現金2万円が忍ばせてあった。「すぐに1千万円貯まったわよ」。 さらに外車と家も買ってくれた。「愛人がいるとかで旦那には千円すらやりたくなかったみたい」。 番傘を貸したのがきっかけでファンになってくれた年配の女性もいた。「現金で5百万円をポンとくれたり、自宅に茶室を造ってくれた」。
もっともそんなありがたいファンばかりとは限らない。橋はステージで花束をもらっている最中に暴漢に襲われた。サーベルで腕と背中を斬りつけられた。 後日、犯人が心を病んでいたことを知り、許す気持ちになった。「自分のしたことをまったく覚えてないと言われた時はショックでした」。
宮前真樹はアイドル時代に電車通学していると、胸を触られた。「ちっちゃいなって。ホント失礼です」。 実家の近所に引っ越してきたファンもいた。愛犬の散歩をしてくれるのを我慢していたら、風呂場をのぞかれた。「私の自転車のサドルに顔をひっつけているのを見つけた時は、さすがにゾーッとしました」。
森喜朗首相は橋と浅香の共通の友人。 「気さくな人柄。発言はマズイところばかり取り上げられている。幹事長だったらねえ」と同情する橋。浅香も「かわいそうだね。サービス精神が多すぎるんだよ」とこっくりとうなずく。
▲
橋がデビュー以来、家族ぐるみのつきあいを続けていたのが故美空ひばり。 東京ドームでの復活公演の直前に2人きりで語り明かした。「芸能界でのアカがすべて落ちて観音様みたいな表情になっていた。あんなに弱いお嬢を見たのは初めて」。 ひばりファミリーは家族のきずなが強かった。 小林旭との結婚は弟の哲也さんが猛反対した。「白無垢にインクをかけたいって」。 ドーム公演の歌声は全盛期には遠く及ばなかったとも。 それでも「天才と呼べるのはお嬢だけ」と太鼓判をおす。
橋がゴールインしたのは27歳の時。お相手の凡子(なみこ)さんは当時、国際線のスチュワーデスだった。凡子さんが橋のファンで、橋がラスベガスへ行く機上で出会った。「帰りの便でもたまたま乗り合わせて」ハワイで2日間一緒に遊んだのが交際のきっかけ。 2年半、せっせとエアメールを送りつづけた。 芸能記者に全部調べあげられて「まいったあ。それでふんぎりがつきました」。
シングルの宮前はうらやましげ。 「20世紀最後のクリスマスも1人きりで過ごします」。
浅香の地元は下町情緒あふれる浅草。そこでガダルカナル・タカと3人の愉快な外国人を引き連れて、浅草ツアーした模様を紹介する。 最近の浅香といえば、サッチーとのバトルが再燃しそうな雲行き。とくに頭にきたのが「アタシがあのチャンバラを全国区にしてやったのよ」の一言。「殺してやりたいぐらい。あれで人生相談してるんだから笑わせるよ」と憤まんやる方ない様子。 思わず橋が「この騒動、20世紀中に片づけましょうよ」となだめる一幕も。 さて、ミッチーVSサッチーのバトルの行方は?
▲
