快傑えみちゃんねる 2002年3月4日 放送回
「心配や迷惑をおかけして申し訳ございません。元気にリハビリ中です」。 神妙な面持ちで切りだしたのは、えみちゃんねる初登場の千 昌夫。 一時は“芸能界の不動産王”の名前をほしいままにしたが、バブル崩壊で巨額の負債を背負いこんだ。えみちゃんが「ホテル丸ごと買ってはったんでしょ」とたずねると、遠い目になって「そういう時期もありました」。
生まれは岩手県の農家。8歳で父親を亡くしてから母親が兄弟3人を育てた。「4時に起きて畑仕事をしてから、7時になったら気仙沼へ働きに出かけてました」。 月150円の電気代が支払えなかった。「止めに来た電力会社のキクチさんの顔はいまだに覚えている」。夜間はローソクを代用したので「いまだにディナーのローソクを見るたびに貧乏な頃を思い出す」としみじみ。「俺は防空壕を思い出すよ」とは中尾。
千葉で生まれたヨネスケも少年時代は貧しいかった。「いわゆる愛人の子ってやつ」。 母親が行商で兄弟4人を育ててくれた。「子供心にもお金がないのは分かっていたから、たまにおもちゃを買ってやると言われても、しぜんと安いほうを選んでいた」。 おやつは目の前の海で採れたアサリ。「おかずもアサリとアジばっかりだったなあ」と感慨深げ。
八代の両親は20歳同士で駆け落ち結婚した。「共働きでかなり苦労したみたい。でも私が物心ついた頃には、赤い屋根のかわいい家で暮らしてました」。 じっと聞いていたえみちゃん。「全然貧乏ちゃうやん」。 貧乏とはまったく無縁だったのは朝丘。なにしろ父親の描く絵はハガキ1枚大で9百万円の評価。えみちゃんがため息をついた。「うちのお姑さん、百号の大作描くのはいいけど、置く場所がないのよ」。
ヨネスケの名前を一躍全国に知らしめたといえば、あの大ヒット企画“突撃!隣の晩ごはん”。本当にアポなしだったから「あげてもらったはいいが、ごはん粒や猫のウンチを踏んづけたり大変だった」。16年間続けると法則が見えた。まず豪邸は無理。田舎にいくほどかぎのかかっていない家が多い。姑の強い家はOKだが、その逆はダメ。「取材が終わってから、お嫁さんから姑をイジメてるように見えるから放送しないでくれって、よく電話がかかってきましたね」。 1度自宅に突撃したこともある。「女房と子供はけんちん汁を食ってました」。
料理の話題が出たところで、えみちゃんが八代に向き直った。「台所に立つことなんてないでしょ」と決めつけると、八代は首を横に振って「けっこう上手いですよ」とやんわり否定。 それでもえみちゃんがしつこく食い下がると「ごめんなさい。お手伝いさん任せなの」と舌をのぞかせた。思わずえみちゃんは「勝った!」とガッツポーズ。 今でこそ押しも押されぬ演歌の女王の八代だが、かつてある女性歌手からひどいイジメにあった。「どうしていつもニコニコしてるんだって、胸ぐらをつかまれたことも」。 ずっと我慢し続けていたが、ある時「プッツンして言い返したら、急に向こうが取り繕ったの」。 えみちゃんは「あの人でしょ。けっこう小心みたいよ」とピンときた様子。
千はトレードマークだった額のほくろを3年前、ハワイで除去手術した。「上目づかいすると視界に入ってくる。娘の友達からは、宗教家なのと聞かれるし」。 生まれた時からずっとつきあってきたほくろだったが、手術はわずか4秒で終わった。 細木が大いに残念がった。「どうして取っちゃったの?万人に1人、天下人のほくろだったのよ。もったいないわ」。 これにはいささかあわてた千だったが…。果たして細木のアドバイスは?
締めくくりはKTVの山本浩之アナが日本の最北端、北海道・宗谷岬の晩ごはんを突撃取材。現地から持ち帰った、さんまのぬか漬け、毛ガニの天ぷら、白子のしょう油汁をスタジオで賞味してもらう。
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